教会通信B各記事の書き出しに見出しタグを用いています

<教会員のエッセイや近況なども>




写真;教会玄関から外を見る 米軍住宅のフェンスに鉢花で十字架が作ってある

教会の玄関から外を見ると狭い道を挟んで芝生があおあおと広がっています。
そこは米軍の住宅基地なんですが仕切のフェンスに
"花の十字架"をかけました。

(写真撮影はA.K.)



教会連絡誌 「さんいつ」 (2011年10月) より

<わたしと礼拝>

「 母の願い 」

  我が家には3人の子供がいます。 三・一教会にはその一番上の子供がきっかけで伺うようになりました。 たまに教会に顔を出す当人に質問。
  「何で教会に来るの?」
  「・・・日曜日だから・・」
  「教会はどんな感じ?」
  「自由なところがいいよね」
  「たとえば?」
  「説教がさ、価値観の押しつけがないの、いいよね」
  「・・・○○にとって、神様とは?」
  「いつも守られてます」
○○は仕事柄なかなか礼拝には出られませんが、既に神様の愛の内にあるようです。これは、嬉しい。
 小さい頃から教会学校には通わせていましたが、思春期に入るにつれ離れ、教会は自分の居場所ではない、と言うようになりました。けれども、 平良牧師との出会いにより、神様を身近に感じられるようになったらしく、教会に行くのを嫌がらなくなりました。主の導きに感謝します。 ○○が神様の愛に応答する日が1日も早く来るように、 と祈りつつ、私もこちらの教会で礼拝を守っています。

H.M.

「 わたしと礼拝 」

  三・一教会に通い始めて9ヶ月になります。平良先生のお話は心のマッサージのよう。「あぁ、そこそこ、そこがつらいの」「あれ、私そこも痛かったんだ」などと思ううち、やみつきになりました。突然現れた私を笑顔で受け入れてくださった教会員の皆様の優しさも身にしみ、日曜ごとに1週間分のエネルギーをもらって帰ります。
 キリスト教主義の学校に勤めているので、「早く洗礼を」と言ってくれる同僚もいますが、もう少し、もう少し。信仰に向かうジグソーパズルをひとつずつ埋めつつある自分を、根気よく待ってみようと思っているところなのです。

S.M.

「 わたしと礼拝 」

  わたしは小さい頃から教会に慣れ親しんできました。私が7才の時にドイツで洗礼を受けようと思った理由は、イースターに私よりちょっと年下の女の子が洗礼を受け、その時に洗礼について考えて、これからも教会に通い続けたいと思ったからです。今年のペンテコステに信仰告白をしましたが、受験や部活動などが忙しく、少し教会から離れているような気がします。今回の堅信礼で、もっと教会やイエス様に近づきたいと思うことができました。

K.E. (中学3年)

<キャンプから>

「 サマーバイブルキャンプ 」

  今年も去年と同じ緑の村休暇センターで(8月19日〜20日)サマーバイブルキャンプが行われました。テーマは「主を喜び祝うことこそ力の源」(ネヘミヤ8章10節)。  開会礼拝に始まり自己紹介ゲーム(ビンゴ)甘い飲み物づくり、その後は温泉に入りに行く人、食事の準備をする人、ひたすら寝てる人、天使のことも考えながら自由時間をそれぞれに過ごしました。キャンドルサービスではみんな一言づつお祈りしました(ちょっとドキドキしました)。1泊だけ、ちょっと少ない(17名)人数でしたが、おいしい食べ物を食べ、自然の中でともにたくさん喜ぶことができました。

K.N.

<読書会のこと>

「 教会の読書会に参加して 」

  毎月第4日曜日の愛餐会のあと読書会が開かれます。あらかじめ一冊の本を決めて、読んできた人を中心に、読んでいない人の飛び入りも歓迎しています。読まないで参加した人も楽しめるように、みんなで登場人物の人間関係図をホワイトボードに書き出したり、長編小説の主人公の“人生すごろく”をつくったりしたこともありました。一番最近(9月の読書会)とりあげたのは、絵本の「百万回生きた猫」。参加者の一人にその場で読み聞かせのようにしていただき、みんなでお話を味わい、深め合うことができたと思います。
  読書会のいいところは、自分では読みそうもない本を読んだり、一つの作品をみんなで読んで感想を分かち合うことで、いろんな視点から、より深く作品にアプローチすることができることだと思います。それはなかなか他では得られない素晴らしい経験です。 8月の会では「知と愛」(ヘルマン・ヘッセ)を読んだのですが、2人の対象的な登場人物の生き方をどう受け取ったのかを参加者同士で分かち合いました。そして読書会の後も、時おり思い起こして、それぞれの登場人物のこと、そこにある作者のまなざしを思い、またその文脈にもし自分をおいたらどうだろう、などと考えるなど、普通の自分だけの読書では得られない充実した体験となりました。

S.E.



2007.7.29 掲載

「 パンをふんだ娘 」
<アンデルセン童話集より>

  パンをふんだ娘・インゲルの性質の悪さときたら、長いこと人々の語り草になったり、歌に歌われたりする程でした。地獄に行く素質も十分にあったとか・・・。このお話は民話を土台に書かれていて、子どもにも現実を覆い隠すことなく、とことん人間の醜い面を掘り下げています。“パンをふんだ”というのは神様の恵みの賜物を台無しにしたという意味です。

  インゲルは行くべくして行った地獄で、体も動かせない状態で長い間苦しみ続けます。しかし救いが思いがけないところを経て届くことになります。小さい時からインゲルのことを聞き及び、心からかわいそうに思っていた女の子がおばあさんになりこの世を去る時、インゲルのことを思い出して涙し、自分も神様の賜物をふみつけていたのではなかったかと最後の祈りをします。やがて天国に召されたおばあさんの愛の涙が遥か地獄のインゲルの上に落ち、彼女の魂を突き動かして悔い改めの心をめばえさせます。

  砕かれた魂を与えられたインゲルは、石のようになっていた体が消えて一羽の小鳥となり、神様への声なき賛美に胸をふくらませるようになります。そして遂に喜びの賛歌が歌えるようになって真っ直ぐに太陽の光の中に引き上げられるのです。

  7月22日の教会読書会のテキストとなり、久しぶりに読み直して感銘を新たにしました。160年以上も前に既にプロテスタントになっていたデンマークで書かれた短編ですが、当時の信仰はカトリック的要素が多かったことが分かります。今も昔も、女性には女性の、男性には男性の罪深さがあるようです。アンデルセンは、人が真の愛にふれて自己の内面を見つめ、砕かれた魂を与えられた時、喜びに満ちた救いに導かれることを精魂こめて歌い上げています。

  読書会に参加した5人で、この本の不思議な輝きを分かち合えてとても幸いに思いました。

H.Ta



2007.5.15 掲載

  最近、仕事の都合で三・一教会から遠く離れた地域に引っ越してしまいました。 長い間一生懸命探し続けて、ようやく出逢えた教会なので、引っ越してからも月に1回程度のペースで新幹線か高速バスで通っているタフな会員です。  いざ離れてみると、やはりとっても三・一教会が恋しくなり、頻繁にホームページを見るようになりました。 
  そんな私を癒してくれるのは、このホームページのトップページの上部にある「日曜礼拝」のページです。 牧師がお話するテーマを見てどんな話かを想像してみたり、賛美歌のボタンを押して聴いたり、歌ったり、祈ったり・・・。 そして礼拝出席者のコメントを読んで、より妄想してみたりしています。
  なかなか礼拝に行けない仲間たちが、私と同じようにこのホームページにアクセスしていると聞いています。ホームページの更新や管理はとても大変だと思いますが、素晴らしいアイディアと地道なお仕事に心から感謝しています。



2007.3.31 掲載

「むねあかどり」
<2007年受難節にちなんで、ラーゲルレーヴの童話より>


   昔、神様がいろいろな動物や鳥たちをお造りになったときです。日暮れ頃になって神様は小さな灰色の小鳥をお造りになりました。「いいかね、お前の名はムネアカドリだよ」と神様は名付けられました。小鳥は不思議に思いました。自分でいろいろ調べてみても、 他の鳥たちに聞いてみても、胸どころか、体中どこを捜してみても、赤い羽根は一本もないのです。ムネアカドリはおそるおそる神様のところへ帰って行きました。 「神様、くちばしから尾の先まですっかり灰色なのに、なぜ私の名前はムネアカドリというのでしょう」。神様はただ静かに微笑まれて「わたしがムネアカドリと決めたのだから、 お前の名前はムネアカドリだよ」とおっしゃいました。


→ 2ページ目はこちら。(全3ページ)

H.H.



2007.3.10 掲載

  私はたま〜にさんいつ教会のほうに集わせてもらっているハンドルネーム:「ブラザー@小田急線」です。 いつもうちのJESTERがお世話になっています。
出現率としては、メタルスライムにすら劣りますが、今こうして書き込ませても らっている事に感謝しています。 気まぐれなのでたまにしか顔を出しませんが毎回、教会に向かっている電車の中で 「今日こそは熱烈歓迎でスモークとか焚かれるのかな?」 と思っています。
  こんな私ですが、近いうちにまた参加させていただきますのでよろしくお願いします。 そしていつもありがとうございます。

ブラザー@小田急線



2007.2.15 掲載

「人間って何者?」

  人間って何者? 
唐突に無理難題な問いですが、時々ふと考えることがあります。 私は私しか生きたことがないので、私に関して言わせてもらえば、おしゃれ大好き、格闘技大好き、たまには贅沢もしてみたい。 
  人に良く見られたいなあ、と自分を飾り・・・そんな自分に嫌気がさしたり。 自分は人にどう見られてるの? 気にしすぎて落ち込んじゃったり。 でも、大丈夫。 と、いつの間にか起き上がったり。
  その繰り返しは30年以上たった今も続いている。

  教会から離れていたとき、そんな一日一日を私は大切にしようと思った。 教会が無くても生きていけるものね、なーんて。 
  ある出来事をきっかけに三・一教会に集うようになった今、私の中でちょっぴり変化が起こりつつある。 ああでもない、こうでもない、と悶々とする日々の方ではなく、ぐるぐる回ってしまう自分そのものの方が大切な存在だという事を思い出した。 
  ぐるぐるしている自分でいいんだよ、と神様はいつでも言っていたんですね。 微妙な違いなんですけど。

  そのことに気づきつつある今、私の中では、人間を愛しいと感じる度数がぐーんと上昇中である。 (下降するときもあると思うけど)

  神様、ありがとう!

ファジャ



2007.1.29 掲載

「こにゃにゃちわ!」

  こちらに登場するのは久々でございまする。 皆さんお元気でしょうか? 小生は元気でありますが、愛餐会の食べっぷりを見れば誰も心配しないと思われますので以下略。

  何だか最近は嫌なニュースが多いなあ、と思いつつ、「でも昔からそういうことばかり言っているなあ。」とも思ったりする中で、意外と忘れがちなのが「当たり前」に対する感謝だったりするんです。 当たり前に食事をして、当たり前に趣味に没頭し、当たり前に友人と会話する、こんなことすら当たり前でない時代が過去にはあったんですよねえ。

  何だか最近、色んな所で自由にものが言えない雰囲気になったり、あまりの屁理屈に馬鹿負けしてイラーッとすることが多いのですが、そんな時一杯のご飯があまりにもおいしくて「あれ?何でこんなにイライラしてたんだ?」なーんてなる時があったりするんです。 
ん?単なる食いしん坊?人間はみんな食いしん坊なんです!!!(暴論)
どんなに嫌なことがあっても、家でネットやってたりしてるとすっかり忘れてたり・・・。 
む?単細胞?人間はみんな単細胞なんです!!!(注・多細胞生物です) 

何が言いたいかと言うと

今日も元気だ 飯が美味い!! 俺は明日も生きるぞ!!!

そういうことです。 乙!。

JESTER



2006.11.5 掲載

「神の言葉を売り物にせず」
<祈祷会での分かち合い>


   『わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、 誠実に、また神に属するものとして、神のみ前でキリストに結ばれて語っています。』   (コリントの信徒への手紙二 2章より)


   毎週水曜日の祈祷会は新約の聖書の学びも兼ねている。今はコリントの信徒への手紙二を読んでいる。初代の教会を作り指導したパウロの息遣いを随所に感じることができる。上に書き出した部分からは、当時でも多くの人々が神の言葉を自分のもののようにして人を教えようとしていたことが伝わってくる。パウロは自分はそうはしないのだと言っています。『神の言葉を売り物にせず、誠実に、 ・・・ 神のみ前でキリストに結ばれて語っています』 とあります。これは、聖書にこう書いてある、誰それはこう言っているという上からの押し付けはしないということだと私は思いました。一つ一つ誠実にキリストに結ばれて語るとはどういうことだろうか。もしパウロが私たちにも同じようにしなさい、と言っているのなら、パウロはなんと難しいことを要求しているのだろうと思いました。

E.S.



2006.10.23 掲載

「世の光 」
<学校の夕礼拝でのこと>


   『あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。 (〜略〜) そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」  (マタイによる福音書5章より)


   大学で夕礼拝があり、宗教主任が上記の聖書箇所をテキストに、説教をしてくださった。 ひとことで言うと、 「各々が世の光なんだから、他者と比べず、他者のようになろうともせず、自分らしく歩みなさい」 というような内容だった。
   頭では分かっているけれど、改めて言われて、なんだか泣きそうになった。 自分では他者と比べないようにしていても、 周りが比べる場合はどうにもできないし、すごく苛々するんだけど。 でも、今の自分がそのような状況の中にあるからこそ、 昨日の宗教主任のメッセージが私に響いたんだと思う。

   その後、ひとりずつ前に行きキャンドルに火をつけた。 「それぞれの祈りをもって、点火してください」って宗教主任が言ってたんだけど、 私の前にいたチャプレンが、 「Y〇K〇の○○が○○○○○ように」って声に出してお祈りしてくれて、なんだかすごく泣けた。
   今、私がすごく気がかりなことで、しかもチャプレン含めて2人にしか話してないから。
嬉しくて、自分のためにお祈りをしてくれている人の存在に気づかされて、涙が止まらなくなった。 その後の主の祈りが祈れなくて、讃美歌も歌えなかった。

   夕礼拝に行けて、良かった。

Y.M.



2006.10.23 掲載

「最近のわたし」

  なんだかまとまりのない生活を送ってます。 教会生活もだるいわ。 しばらくお休みするわ。 でも気まぐれだから行くかもね。 気まぐれに聖書開いたら『愛のないドラはうるさい?』だっけ? そんなこと書いてあったわ。 そのときは、そうだわねと思ったけど、今はなんとも思ってないわ。
  そうねえ、私は今、何を目安に生きてるのかしらん。 体重計、姿見、預金残高、天気予報。 みんな素敵だわ。 それから体の疲れ、だって目安になるわ。
  楽しみってなにかしら?人の悪口とぼーっとすること。 ほほほ、だからよく牧師にしかられますの。 最近よく涙が出ますわ。 年だから。
  ホームページ担当者に頼まれたから、リラックスして信仰に関係ない話し書こうと思ったけど、だめね。 でも、私の話信じちゃだめよ。神様っているのかしらん? こんな私が今日必死こいて祈ったんだから、笑っちゃうでしょ? ではまた・・・。

び ろ 



2006.8.15 掲載

「 Summer Bible Camp の 感謝 」
<8月10日〜12日 清里にて>

  遠くまで幾重にも連なる山なみ、キャンプファイアーの上に満天の星、山の端から遠慮がちに昇ってくるオレンジ色の満月、暗い森にサーッと落ちてくる流れ星、1分も手を浸すと冷たさにキーンとなる渓流、とどろく雷、地面を打ちたたく雨・・・・・

  わたしたちの日常ではもはや体験できにくい、ありのままの自然の姿の何とおごそかなことか!!それは創造された世界の奥深さに、鈍くになっている感性を揺さぶられる3日間でした。

  自然もまた神様をたたえていることを目の当たりにしつつ、楽しく過ごせた今年のキャンプ、もりもはやしも、子どもも大人もいっしょに、歌った賛美の歌と祈りが一人ひとりの心にいつまでも宿りますように。

H.Ta.



2006.3.16 掲載

「モンジェンちゃん」

以前、『子どもに伝えるイラク戦争』(小学館 広河隆一・石井竜也 共著)を読んだ。 その中に、石井竜也が毎月少しの額を送金して、発展途上国のひとりの子を支援していることが書かれていた。
それを読んで、初めてそんなことできるんだーと、感激。
「自分もやってみたいなー。どこの団体がやってるんだろう???」
ということで、探したら、以下のHPを見つけた。
http://www.worldvision.jp/
早速資料を取り寄せ、申し込んだ。
国や性別、年齢は、こちらから希望が出せるけど、特に希望がなかったので、空欄で申し込む。 その結果、中国の女の子を支援することになった。
支援し始めてから2ヵ月くらい経ったころ、彼女から手紙が届いた。 彼女は4歳で、まだ勉強してないから字が書けないんだけど、 いつか、彼女の字で書かれた手紙が届くといいなぁと、強く思った。 最後に書かれてた、「あなたの小さな友だちより」というひとことで、胸キュン♪

クリスマス。
何を贈ろうか悩み、最終的にシールを贈ることにしました。 郵便事情があまりよくないらしく、大きいものは盗まれたりしちゃうんだって。 あと、高価なものを贈ると、周りの子から妬まれるらしい。 なので、シール。
いざ買いに出かけると、どんな模様にしようかで、結構悩む。 結果、山岳地帯に住んでいる子なので、イルカのシールを。 それから、友だちと分け合えるように、小さくていろんな色のハート型のシール。
なぜか昔、自分は小さなシールが好きだったことを思い出したので、 「子どもは小さなシールが好き」と決め付けてみた。 喜んでくれてるといいなぁ。

Y.M.



2006.2.25 掲載

「十字架」

   僕には年の離れた妹がいます。その妹が二年前に入院したことがあります。入院してベッドに横たわる妹や看病で疲れ切っていた母を見て、臨時で休暇を取って帰郷していた僕は、自分の無力さに怒りすら感じ、「俺は頭は悪いし根性も汚いけど、体だけは頑丈だ!家族の病気は全部こっちに寄越してくれ!耐え切ってみせる!」と思ったことがあります。
まあ、実際その通りになれば美談になるのでしょうが、現実はそんなに甘くはありません。

   友達とドライブ中に軽く追突され、ムチウチになった時のことです。なったことある人は分かると思いますが、これって首がダルくなって吐き気とかするんですよねー。僕は家族のことなど忘れて「何とかしてくれー!」と悲鳴をあげておりました。

   つくづく自分は業の深い生きものだなぁと思いました。自分が苦しくなると、家族が苦しんでいることも忘れて助けを求めているんですから。

   僕は今になって、キリストが十字架にかかった時のことに思いを馳せます。

   悪いことしたわけでも無いのに捕まり、手塩にかけた弟子は裏切ったり逃げたり、自分が救ったはずのユダヤ人たちからは憎まれ、最後は十字架…。キリストが背負ったものの重さはどれほどだったでしょうか?地球一個を背負った方がまだ楽だったのではないでしょうか?ましてやそれを他人のために背負えるでしょうか?自分はムチウチひとつで「ギャー!」と言っておりましたが。

   それを思う時、僕は主を賛美せずにはいられなくなるのです。

Jester



2006.2.17 掲載

「チャイについて」

【チャイの歴史】
インドにはそれまで茶を飲む習慣がありませんでした.19世紀英国統治の時代に,イギリスがインドで茶をつくらせたのです.そして,良質な茶葉はすべてイギリスに行きました.ダストと呼ばれる渋くて粗悪な茶葉のくずが出ます.それは本来捨てるものですが,無理やり金に替えるためにインドの人達に売りつけることにしたのです.ダストティーは渋くて粗悪なためそのままでは飲むことはできません.そこでたっぷりのミルクと砂糖を加え,香辛料で味付けして飲むことができるようにしたのがチャイの始まりと言われています.高級な茶葉を使ったチャイというのは少しおかしなものといえるかもしれません.

【チャイの作り方に関して】
いろいろな作り方があるのでしょうが,ここでは三・一教会で作ってるチャイについて書きます.
15人分くらいの作り方です.
牛乳2本分をなべにあけて,ティーバッグ5個くらいを煮出します.それなりに温まったら砂糖を入れて甘くします. そしてシナモン,カルダモン,ナツメグ,ジンジャーを小匙1杯〜2杯ぐらい入れます.カルダモンが多目の方が美味 しいかもしれません.それで泡だて器で混ぜながら,香辛料も良く煮出します.甘さの加減を見て出来上がり.

M.Y.



2006.2.12 掲載

「去年の四季を振り返りて」


       初礼拝  先ず第一に  神のみ名
                    讃美して待つ   今日のみ言葉


       人は皆  花を賞でけり  春うらら
                    わが主は十字架を  負いて歩めり


       わが神の  平和をとわに   祈り行く
                    キャンプファイヤー  燃え尽きる迄
                                     (東山荘にて)


       清里の  十字架の小道  踏み行けば
                    ビアドロロサに  思い廻らす


       おのおのの  罪の深さを覚えかし
                   秋風奏(かな)ず  十字架の曲


       除夜の鐘  乱れたる世の  年逝けど
                   神の恵みの  変わることなし

F.T.

※ 教会の最古参 F.T.さんに原稿をお願いしたところ、このような短歌をお寄せ頂きました。有り難う御座いました。(ホームページ作業班代表より)



2006.2.9 掲載

「万華鏡」

   今時の(少し古い言葉かな)万華鏡をご存知でしょうか?万華鏡の本体の先に穴が二つあいていて、その穴に十字架のようにオイルワンドというガラス棒を差します。また2本のオイルワンドをクロスに差すこともできます。こうして、のぞき穴から見るんです。ゆっくり回しながら見る美しさに、虜になるんですよね。また、そこにライトを照らすと景色が一変するんです。それはイルミネイションのようにも見え、また外国の教会のステンドグラスを思い浮かべ、またガウデイのすごい建築を思いだします。
   さて、昔の素朴な万華鏡には、すごい郷愁を感じます。自分で色のセロファンを細かく切って作ったものを眺めた時の感激は今も私のどこかにしっかり存在してます。あるときは、かさこそと動き、またパラリと舞うように動き・・・・同じ形には決してならないんですよね。しかしあるときにバサリと落ちて下に集まってしまい何もない寂しい景色になってしまいました。
   長い信仰生活のなかで、万華鏡のように心躍るとき、満たされているとき、感謝のときがある中で、何があるのか・・・神様!!答えてください。と虚しく思うときもあります。人間の心なんて頼りないもの・・・でも私の知らないうちに私を支えてくださった方がおられたから、今日の信仰があるのだ!!

ひろ



2006.2.5 掲載

「山上の説教」

   「仏の顔も三度まで」といいますが、三回目はアウトなのかセーフなのか、日々思い悩むJesterです。
最近、マタイ書の5:3〜12の山上の説教を読みました。正直言ってよくわかりませんでした。












   ではマズいと思いまして、コンパクトサイズの脳をフル回転させて考えました。
何故、よくわからなかったのか?それは当たり前のことを言ってるように感じたからでした。しかし、わざわざ言うくらいだから当たり前じゃなかったのかなぁ?と考えた時に思い出したのがヨブ記でした。
   義人ヨブにある日突然不幸な出来事が立て続けに起こり、それを慰めに来た友人との対話がその大半ですが、僕は友人たちの言葉に形骸化した律法主義を見いだすことができました。それは「悪いことには悪い報いがある」ではなく、「不幸な思いは悪事の証拠」という順序の逆転した発想ではないかと思います。
   それを踏まえて改めて山上の説教を読むと、ある情景が浮かんできました。それは当時のユダヤ人達だけでなく、自分の過去でもありました。
   例えば、物を盗むのが悪いこと、これは分かります。では、落胆する、病気になる、これも悪いことだと言われたらどうでしょう?恐らく、当時の人たちは昔の僕と同様に無理矢理元気な振る舞いをするハメになったのではないでしょうか?そして、そんな余力すらない人は容赦なく裁かれ、見下されていたのではないでしょうか?

   しかし、主は全てひっくるめて、「幸いである」と言われました。

「悲しむことも義に飢え乾くことも、あって当然。そのままで良い。そのままで私の下へ来なさい。」 僕は、主がそう言ってるように思いました。

Jester



2006.2.5 掲載

「カナダの友人へのメール返信」

時々カナダにいる友人と電子メールの交換をしています。Yさんと言います。クリスチャンです。最近のYさんへの返信の一部をご紹介します。私のつたない祈りを主が聴いて下さいますように。

「黒人男性として生まれてきたら、公共の一番の敵とみなされるんだよ。」Yさんの友人黒人Dのこの言葉が私の胸に染みいります。キング牧師の「公民権運動」は北米ではどう継承されたのでしょうか?今日もある、白人優位主義、黒人差別にビシッ!とした反差別運動はないのですか?みんな分断されているのですか?Georgeの苗字が「植民地主義」の象徴、事実とDは言うのですか。私は歴史を学習し直します。
私は、これまでに、自分の存在を否定されるような差別は受けていないのです。だからなのか、黒人差別でも、「セクシャルマイノリティ」への差別でも、外国人差別でもすぐにできることは、Yさん、あなたと同じで、やはり「聴く」ことなのでしょうね。すぐに大きな支援はできないものです。
主よ、YさんがしているDのお話の聴き役、支えが、法科大学院入学を目指すDに勇気と力を与えて下さい。人権を傷つけられた体験、黒人差別に合い様々な障害を越えてきたDが、弁護士を目指しています。彼にしか弁護できない事件もきっとあります。様々な試練、哀しい涙、辛苦、それらをDが噛みしめ、これからの彼の人生が、彼が望むように、差別された、抑圧された人々の人間の回復に活かせるよう、主よ、あなたがDの背中を押し、力を与えて下さい。そう、見知らぬ、私の友だちである、Yさんの友人で同居人のDのために、今宵あなたに祈ります。主よ、あなたが、いつもDの側にいて見守って下さい。Yさんもあなたが見守り、元気印を保ち、圧制の下にさらされた世界の、社会の小さくされた人々のために、Yさんが力を少しでも多く発揮できますように導いて下さい。支えて下さい。
つたない私の祈りに、主よ、どうか耳を傾けて下さいますようにお願いします。

Rose



2006.1.23 掲載

「始めまして」

   三・一教会に「ひろ」という名の人が多くいます。「ひろ」という語音が心よくひびくと密かに悦に入っています。その「ひろ」の中の一人が私。
   毎週の説教等のホームページの記事を読んで感心し、呼応し、みんなまじめだなあと思うばかりでした。私は普段最小限のチェックを終えてすぐゲームに入ります。
   ゲームの勝率は今62%でパーセンテージが上がりません。何となく63%にしたく、ついゲームを開いてしまいます。テレビを見ながらとか、一杯飲んだあとはとってもミスが多く「飲酒運転禁止」というのはむべなるかなと。
   「このゲームから足を洗わせて下さい。」と神様に祈ろうか。
これを読んだ皆様、「けしからん奴だ」と怒らないで下さい。弱い駄目なひろです。

ひろ



2005.12.4 掲載

戦後60周年とキリスト教

  2005年ももうすぐ終わろうとしている。今年は戦後60年ということでテレビ局などは原爆に関する特集を組んだり、特別ドラマを制作して放送したりした。その一方、靖国神社で首相の参拝に反対する市民が例年と同様の穏健な活動をして当局に逮捕されるなど時代が変わりつつあることを実感する年でもあった。
  私たちの教会が所属する日本基督教団は1967年に「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表した。日本基督教団の多くの教会では8月の平和聖日などにこれを覚えることとしているようである。一方、これを嫌う教会・牧師・信徒のあることも耳にすることがあった。実は私も毎年夏になると教会で持ち出されるこの「戦責告白」を拒否するのでもないが、どうしても必要なのだと言い切るまでの理解も得られないできた。
  ところが、そんな私がある時を境に、この告白文は是非とも必要なもの、それどころかまだ足りないくらいだと考えるようになった。ある時とは日本基督教団の発行する教団新報1944年4月11日号の記事「靖国の英霊」を読んだ時である。この記事は、日本基督教団が『神以外のものを神としてはならない』という新旧約聖書を貫く大切な戒めに背を向け、天皇の名のもとに死んだ兵士を称揚して神と祀る靖国神社にまさに諸手を挙げて迎合していたことを示す無惨な証拠なのである。(記事抜粋は本文下に)
  このような神への背きを経験したのは無論日本人キリスト者だけではなかった。実は私たちのよく知る旧約の民こそが、そういった歴史を記録して私たちに伝えてくれているのではないだろうか。教科書の不都合な部分を黒く塗りつぶすことによって日本の戦後は始まったと言われる。しかしその塗りつぶされた部分に目を向けることなしに真の歴史は見えてこないのだ。歴史を記憶しそれに学ぶことを私たちの神は求めておられる。旧約聖書に書かれているのは、このことではないかと私は思った。

『靖国の英霊』 (抜粋および下線はE.S.による)
  「南海の果てに、大陸の奥に大君に命を捧げ奉った忠誠勇武の英霊二万五千を迎え祀る招魂の儀に、帝都は今厳粛の気をみなきらしている。 (中略) 戦いはいよいよ深酷化し、決戦につぐ決戦ときびしい戦ひは展開される今日、国民の生活は捧げられた血によって護られているのである。感激何によって応ふるべきかを知らない。
  この血の尊さは英霊を神と祀る日本の伝統のみがよく知る所である。国に捧げられた血を尊しとする精神は他国にもあるであろう。記念碑を造り、道行く人は帽をとつて敬虔に誠を捧げるであろう。然しこの血に最高の意義を見、祭神と讃える精神は、我が日本において外にはない。  
  (中略) ひとたび大君のお召しにあずかった瞬間、この武人は啓示としてかしこみ御うけ申上げる。この時からこの武人には、国に捧げつくす清く尊い血が生きる。武人の脈管に流るる血には新しい意義が生ずる。勿論この心は日本国民にすべて存在する伝統である。然し特にお召しにあづかった瞬間は、これを鮮やかに自覚した新しき時であり、宗教的新生にも比すべきものである。記者は幾度かかう云う不思議と思わるる程荘厳にして力にみちた新しき厳かな自覚の武人の前に、襟をただし頭をたれたのである。この様な態度から、この尊い殉国の血を靖国の英霊として祀る心がおこるのは当然である。 (中略)
  靖国の英霊を安んじる道は敵殲滅の一途あるのみである。一亳のすきなき誠忠の思いもて、与えられた立場から奉公してゆかねばならない。 我々のたぎり立つ血のはけ道は、英霊の血と深く相通じている。」

日本基督教団が発行した「日本基督教新報」(1944年4月11日号)より

E.S.



2005.11.5 掲載

「野の花のように」

   『 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。 野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。 』 (マタイによる福音書6章28節)

   もう半年くらい前になると思う。平良牧師は説教でこの聖句を用いられた。イエス様は、「野の花をごらん、明日どうなるのかさえ分からないのに、こんなに一生懸命咲いている。」「あなた達も思い悩まなくていいんだよ。」と教えられたという。しかし同時にイエス様は、人間は野の花とは違って明日にでも引き抜かれることはない、と言っておられるのではない。そういうことを平良牧師は語られたように思う。この話を聞きながら、イエス様が傍らに咲いている小さな花を指して、「ほら、この花を見てごらん。」と教えられる光景が目に浮かんだ。

   柳澤桂子さんという方がいます。約三十年間も原因不明の難病に苦しまれ、“一分の痛みに耐えるのさえ辛く、一秒がひたすら長く感じられ”ということもあったそうです。その柳澤さんが「般若心経」の心訳(現代詩訳)というのを出され、テレビや雑誌などでも取り上げられて話題になりました。仏教の根幹である「空(くう)」を表すと言われるこの経の訳を柳澤さんは下のようにはじめられました。

 ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・ 
 ほんとうは
 野の花のように
 わたしたちも生きられるのです

   柳澤さんは当然聖書もご存知でしょうからマタイ書も知った上でこの言葉を使われたと思います。イエス様は『野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。』と言われましたが、柳澤さんは生命科学者でもありますからイエス様の言葉通りに本当に注意して植物を見てこられたことでしょう。ただ情緒的に“野の花のように”と言われたのではないはずです。この言葉に真理があると確信して書かれたのだと思います。私はキリ スト教と仏教の出会いということを言いたいのではありません。いつの時代でもあれこれと思い悩み、苦しみから逃れられない私たちに語りかける言葉がここにある。そういう思いでこの文章を書かせて頂きました。

    (※文中引用は『生きて死ぬ智慧』柳澤桂子著より)

E.S.



2005.10.12 掲載

山辺に向かいて我、目を上ぐ

   教会の有志で八ヶ岳清里に行った。
   雨と雨との間の雲の切れ間に、今回は見られないかと思っていた南アルプスの山々、それにひときわ高い冨士山が突然姿を現した。それも10分足らずだっただろうか。 ふたたび川俣渓谷の上あたりから、もくもくと雲が湧き上がりすぐに土砂降りに変わった。

   自然の懐にいると詩篇のことばが生き生きと響いてくる。
「話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう」 詩19
神様は、にぶいわたしたちに聖書からだけでなく、色々なことを通して語りかけて下さる。

   遠い日、中学の修養会で初めて出会ったあの山々、その時の声なき声が延々と今にまで響いている不思議を説明する言葉は見つからない。 2日間の充電を感謝しつつ…。

H.Ta.

<教会写真館に写真を載せました>


2005.10.16 掲載

− 清里清泉寮の集いに参加して−

   教会の門を叩いて間もない私は、「山辺に向かいて我、目を上ぐ」に参加でき良かったと思っている。そもそも、「山辺に向かいて我、目を上ぐ」の意味も分からず。賛美歌にちゃんと「山辺に向かいて」があり、詩篇に該当箇所があることを参加直前に知った程である。
   活動エリアとなった清泉寮の岩でできた門柱にも、「われ山に向いて目をあげんわが助けはいずこよりきたるべきぞ」と刻印されていた。「わが助け...この所、『もう、試みに合わせないで下さい』というのが目前の“わが助け”なのかな」、と今の私には想えた。 ・・・・

→ 続きはこちらから。

M.I.



2005.7.4 掲載

やっと叩くことができた扉

   神奈川教区に部落差別問題小委員会があることを知って、その活動をずっと横目で見ながらすごしていました。 気にはなっていましたけれど扉を叩く覚悟がなかったのです。 なぜなら私自身は被差別部落が点在する山村で成長し、差別を小さい頃から刷り込まれて育ちました。 ・・・

<神奈川教区・部落差別問題小委員会の会報から転載しました。 続きは → こちらに


( 映画「パッション」より )

H.H.



2005.6.13 掲載

賛美歌が歌えない

   先週、賛美歌が歌えなかったと書きました。歌えなかった賛美歌は私の大好きな賛美歌でもありました。だけどその日は歌えなかったのです。
   その時の私は不安と心配のどん底にありました。そんな時「きみのたまものとちからを神のみ名のためすべて用いよ、魂をすべて捧げて神に奉仕する日々を求めよ」とはとても歌えなかったのです。
   平良牧師は第1日曜日の5日は礼拝後役員会、4時からCSミーティングの会議、7時から夕礼拝、翌月曜日は幼稚園の勤務、勤務後新幹線で広島へ(平和子ども会議の打ち合わせ)、7日夜7時頃帰宅、すぐ旅の支度をして1時間後に教会を出て千葉へ、8日朝8時成田空港からNCCのチェリノブイリ・スタディーツアーに出発という日程の中、私の週報ケースに「賛美歌を歌えない時があっていい」という小栗献牧師が書かれた文章を入れておいてくださった。過密スケジュールの中、覚えてくださってありがとうございました。
   小栗先生も「賛美歌を歌えなかったことは何度かあった。そのような時唇を噛み締めて歌詞を見つめていた。歌う気力もない時座ったままでいて、歌うことを拒否し言葉を聞いていた。歌えなかった賛美歌は歌った賛美歌以上によく覚えているし、その言葉は心の中に深く入ってきた。私が落胆し歌う力すら失せてしまったような時にも、主ご自身が私のところに来て歌ってくださるのだ。歌えない時は歌わなくてよいのだ」ということでした。私は歌えないことがあっても良かったのだとほっとし、慰められました。
   平良牧師は明日からケルンの小栗牧師を訪ねます。

H.H.



2005.5.26 掲載

小林平和10周年追悼音楽会

   三・一教会のペンテコステ礼拝と祝会を終えて、私は小林平和牧師の10周年追悼音楽会に向かった。 会場は東京都豊島区にある東長崎ウエスレー教会である。 10年前に帰天した小林平和という牧師はまったく存じ上げなかった。 三・一教会の平良牧師が演奏の奉仕をするので同行したのである。 音楽会は夫を亡くした妻(小林牧子現牧師)、父を亡くした子どもたち(野中泉氏、小林真氏)と、ゆかりの音楽家たちでつくりあげていた。 故牧師の同級生、お付き合いのあった牧師先生たちの思い出ばなしも聞くことができた。 温かい音楽会であり追悼式であった。
   会が終わってもその場を去りがたく、目の前に出てくる酒肴を遠慮無く頂いていると、やはりその場に残っている音楽家が心地よい音楽を奏でてくれる。 ピアノをかこんで讃美歌の合唱が始まり、いつの間にか自分もその輪に入っていた。 まるで懐かしい思い出の一場面にタイムスリップしてしまったかのような不思議な幸福と安心感につつまれていた。


プログラムの追悼文に小林平和牧師を面影を見ました。


<野中泉氏の追悼文の一部を掲載させて頂きました。>

E.S.



2005.5.21 掲載

「聖霊によりて われらひとつ」

   以前“聖霊”という言葉は何だか狂信的に聞こえてなじめませんでした。 でも“神様の力”という言葉には包み込むような大きさが感じられました。 結局同じことなのに、言葉とか用語とかには限界があって、自分が出会った時の様々な条件に左右されたりするのでしょう。
   ペンテコステ礼拝の日「聖霊によりて われらひとつ…」を歌いつつ、可笑しいほど違っている一人ひとりなのに、神様の息を受けてひとつにされている幸いを思いました。

H.Ta.



2005.5.21 掲載

   めて早天平和祈祷会出ました。 5時発の始発電車は、のんびりとすがすがしい気分でした。 6時ぎりぎりに教会に着き、今日は愛香さんと二人かと思っていましたが、T君が来ました、ウレシ。 3人で祈祷会が始りました。
   なぜ祈祷会に出たいと思ったかというと、もちろん3連休で体力的にも精神的にも余裕があった為でもありますが、早天祈祷会の目的である世界の平和のために祈る、この為でした。
   今、沖縄では、沖縄の方同士で争っているところがあります。 哀しい現実です。 もちろんこの背景には日本とアメリカの問題があります。 愛香さんは沖縄から戻ってきたばかり、その前には、Sさんが、更に、その前にはIさんがこの一ヶ月の間に行かれていました。 皆、体を張って闘ってこられました。 僕は、どうしても行けませんでした。 だから、祈りしか出来ないのです。 平和のために、祈るしかありませんでした。 僕の祈りは届いたでしょうか? 最後のお祈りを愛香さんがされているとき、涙が出ていました。
   その日の主日礼拝で歌われた賛美歌、「み言葉をください」の最後の歌詞、
「み言葉をください 草に置く露のように いのちの主よ 人と人とのこころかよわず 乱れあらそう 世界のために・・・」
今駒泰成の神にストレイトに訴える武骨なこの詩は、その日の僕の心そのものでした。

( 5月1日の早天平和祈祷会に参会して )

健坊



2005.3.23 掲載

讃美歌詩人との出会い

   受難の讃美歌の中で、とりわけ心にひびいてくる一曲に313番「愛するイエス何をなされてこんな裁き受けられたか・・・」があります。
   「礼拝と音楽」124号の小栗 献牧師による"コラールの故郷をたずねて"は、まさにこの讃美歌の作者であるヨハン・へールマン(1585〜1647)をたずねる取材記事でした。400年以上も前に彼が生きた証を探し出すのは結構大変な仕事だったことが想像されます。本文では、第二次大戦後ポーランドとなったシレジアという地にヘールマンの足跡を尋ね、遂に"郷土史を調べている人"に出会うことによって、その生涯が浮き彫りになっていきます。    桂冠詩人であり牧師であったヘールマンは、"シレジアのヨブ"と呼ばれるほど生涯病苦と戦禍に苦しんだそうです。にもかかわらず多くの信仰の著書を残し、さらに驚くべきことに400曲の讃美歌を書いたというのです。(讃美歌21には313「愛するイエス」と545「まことの神」の2曲)
   日ごろは讃美歌をそこにあるものとして、どのようにして与えられたかなど、思いを馳せることなく歌ってしまいますが、今回、"最終的には苦難を受け入れ神への信頼を歌い続ける"人、ヨハン・へールマンの生涯にふれることができて深い感動を覚えました。
   「礼拝と音楽」は三・一教会の図書にあります。

H.Ta.



2005.3.14 掲載

沖縄・辺野古に行ってきました

    私は、3月3日から7日まで沖縄に行きました。一番の目的は、普天間基地の移設により、名護市辺野古地区に海上ヘリポート基地を建設し、併設するキャンプ・シュワブと一体化し、米国の戦争出撃巨大基地となることを、地元住民、オバァ、オジィ、海人が非暴力で反対し続けている活動に自分もすこしでも参加したいとのおもいからでした。そして、地元住民オバァ、オジィ、海人の反対の思いを肌身で感じたかったからです。

以下、M.I.さんの報告をぜひお読み下さい。(PDFファイル)


辺野古の海の夜明け
(撮影もM.I.さん)

M.I.



2005.2.27 掲載

   「自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」 − イエスの有名な言葉だけれど具体的に何をどうしなさいと言われているのか分かりにくいと思っていました。 しかしこの聖句の前後を見て初めて気がつきました。 イエスはこの後ゲツセマネで捕らえられ、ゴルゴタの刑場に向かわれるのです。 “イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。(ヨハネ書19:17)” とあります。
  私には次ように聞こえます。 「私はこのように自分の十字架を背負うのだ。 あなた方はあなた方自身の十字架を背負って私についてきなさい。」 もちろんゴルゴタの刑場で共に十字架につきなさいと言っているのではないと思います。 イエスの生き方は神への全き信頼のもとに十字架に行き着くものとならざるを得なかった。 私たちもイエスに従うものであるならば福音のためにいつでも十字架を背負う覚悟を固めなさいと言われているのではないでしょうか。 冒頭の言葉のすぐ後に“自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。(マルコ8:35)” とはっきり述べられています。 これはイエスの弟子たちへの厳しい促しの言葉でした。 
  今こうして生きている私たちの救いのために実際に多くの人々がイエスの言葉に従って十字架を背負ったことを思います。 受難節に入り大きな感謝を持ってイエスとその御言葉に従った多くの“弟子たち”を思い起こしたいと思います。

( 映画「パッション」より )

匿名希望



2005.1.1 掲載

   聖母マリアの処女懐胎を信じている人は、米国民の79%、キリスト教徒では87%に上ることが米誌ニューズウィーク(電子版)が5日報じた調査で分かった。 この記事を見て、教会歴2年に満たない僕にとり、この数字はビックリ以外の何者でもなかったのです。 早速、平良牧師にメイルを出しました。とても、ネガティブな意見を添えて。
  「処女懐胎について。 僕は一応素直に信じています。が本当かどうかは僕にとってはたいしたことではありません。 処女が懐妊したからすごいのではなく、人間(しかも名もなき人)が用いられたことが奇跡なのですから。(男性が身ごもったならもっと面白かったのにね。中学生の時本気で考えました。祈祷会でそう言ったらみんなにびっくりされたことを憶えています。)」
  僕は、余りにも表層的なことにとらわれていたことに、気づきました。 確かに、イエスがどのような生まれであろうと、関係ないよね。 彼を好きなのはね。 マリアが懐胎したと聞いて、ヨセフはどう思ったでしょうか? それが今日(注;12月19日)のお話でした。 
  ともするとマリアにスポットライトが当たるなか、ヨセフは悩んだでしょう。 マリアの懐胎をどう思うか? 僕が「嘘やん!」と思うのと同様に嘘と思いたかったでしょうし、マリアへの疑いも持ったでしょう。 マリアの神への思いの深さ知っており、最後は神を信じることにしたのでしょう。 その間の苦悩は深かったでしょう。 でも、その後のことを考えるとモット悩みは深くなるでしょう。 いつの間にか、マリアは神に近い存在になっていた、それを認め、神となる子を育てていけるのか。 僕なら、ここまで耐えていても、もうギブアップですね。 先々のことを考えたら、苦労ばかりのように思うからです。 でも、さすがマリアが選んだ人はそうではなかったのです。何十世代にわたり、待ち望んでいた人を、遂に、いま、マリアが身ごもっている。その人と共に、育てようと思ったのでしょう。マリアとなら、どんな苦労も乗り越えられると信念をもって。
  さ、いよいよ、クリスマス。 このことを思いながら、迎える今年のクリスマスは、ヒトキワ思い出深いものになるものと思われます。

健坊



2004.11.11 掲載

感謝状

    平良愛香 牧師 殿  
  あなたを三・一教会にお迎えして一年七ヶ月になります。 初めてあなたにお会いしたとき「悩んでいる人、苦しんでいる人と共にいて欲しい」とお願いしました。 その時「それはできると思います」とおっしゃってくださいました。 その通り、この間ずうっと私たちの期待に応えてくださいました。 悩みを聞いてもらった人は「別に答えを出してくれるわけではないけれど、悩んでいる私と同じ位置で話を聞いてくださる。 それだけで十分」といいます。 祈祷会の時、ある人が自分の人生を語り、怒りや悲しみ、苦しみを話してくれました。 じっと話を聞いていたあなたは予定になかったですが、「主よおいでください」をみんなで歌って慰めました。 「泣いてる人がいます。主よおいでください」と。 私はとても涙が出るほど感動しました。
  神様の創られたものに不良品がない、一人一人はかけがえのない存在だといつもおっしゃいます。 そしてそれを実践なさいます。 しかも徹底して。 
  逝去者記念礼拝はこれもまた涙が出るほど感動しました。 礼拝に出席している人の中にはキリスト教の信仰を持っていない人もいました。 逝去者の中には教会員ではない人、信仰をもっていなかった人もいました。 その一人一人をきちんと覚えてメッセージをしてくださいました。 メッセージのなかで誰もが自分の場所を確認できたと思います。 誰も阻害されることなく、クリスチャンでないことを後ろめたく思わないで座っていられたと思います。 その配慮に心から感謝します。  
  また日ごろの礼拝のなかでメッセージを通して、私たちに福音を届けてくださってありがとうございます。 確かに福音が私たちに届いています。  私たちはあなたをお迎えし、おつりが来るほどの恵みを受けていると感じています。  私たちの教会に悲しいことがありましたけれども、神様はあなたの牧会を「それでいいんだよ」と祝して下さっていると思いますが、私たち信徒も「それでいいんですよ、私たちは感謝しています」とお伝えします。
  これからもどうぞよろしくお願いします。 でも一人で頑張りすぎないで信徒も一緒に頑張らせてください。  健康に気をつけてください。 いつもみんなが祈っています。

H.H.



2004.6.10 掲載

    お花の十字架 いいですね。 教会員一人一人が自分の教会に自主的に関わりを持ち、教会作りに参与している。 えてして牧師の教会となりがちな教会を信徒たちが自分の教会としていく。 誰に言われたからでなく、自分の思いを形にしていく、そんなことができる教会が三・一教会です。
   本当はあの花の十字架にもう一鉢加えたいのですが、水をやるのに背が届きません。水をやりながら水浸しになってしまうのであきらめています。 発案者は花を植え替えたりして、愛情を注いでいます。

H.H.



2004.5.21 掲載

えほん「神の道化師」

トミー・デ・パオラ さく / ゆあさ ふみえ  やく
ほるぷ出版

   ずっと以前に出会った絵本ですが、いつも心にある特別な本です。
ジョバンニ少年は孤児でしたが、野菜や果物など何でも空中に投げ上げてお手玉のように回す得意わざをもっていました。 旅の一座に入ると道化の化粧をして、色とりどりの玉をあやつり評判になります。 独り立ちしてからはその芸がイタリア中に知れ渡るほどです。 しかし時が流れ年老いた彼は芸で失敗をするようになるのです。 身も心もぼろぼろになり、たどり着いたのが聖フランシスコ教会でした。
   疲れと寒さで眠り込んだジョバンニが歌声で目醒めると、クリスマスの捧げ物をする大勢の人が集まっています。 人々が帰って静まった聖堂でマリア様に抱かれたイエス様の像の前に立ち、ふと自分も何か捧げられるのではないかと思いつきます。
   そこで道化の化粧をして得意わざを始めます。 赤、オレンジ、黄色、青、金色・・の玉がぐるぐる回って虹のように輝きこれまでにない美しさです。 「あなたに、神のみ子イエス様、あなたに捧げます。」と声をふりしぼって言いました。 その時年老いた心臓はハタと止まったのです。 修道士が駆け寄ってみると、幼いイエス様の像がにっこりほほえんで手に金色の玉を抱いていたと言う古い民話によるお話です。
   わたしはこれを読むたびに、ジョバンニが死の直前に最高の捧げ物ができてよかったと胸が一杯になります。 でも最近、もっとすごいことは年老いたジョバンニが“砕かれた魂”という最高の贈り物を神様から頂いたことではないかと思っています。

「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊」 詩篇51:19より
あなたはこの絵本をどのように読まれますか?


絵本の挿絵;色とりどりの玉で曲芸をする老ジョヴァンニ   A.Y.さんの応答手記






H.Ta.



2004.5.13 掲載

    教会の皆様、こんにちは。
   先日の聖餐式は、今までの人生で予期しない素晴らしい日でした。 私は、もの心付いた時から親に連れられ教会に通っていました。 月一回の礼拝で配られる、鉱泉せんべいと赤玉ポートワインが子供心に欲しかったのですが、親から「大人になってからね。」といわれ、「僕も大人になったらもらえるんだ。」と期待を抱いていました。 それが、信仰告白をしなければもらえないというのを知ったのは、ずいぶん後のことです。 それから思春期に信仰から離れ、数年前に戻って来ました。

   毎回牧師は「聖餐式に与かれるのは洗礼を受けた者のみ。」と言われます。 「これは区別であって差別ではありません。」と言われますが、否定する事自体“差別”という認識なんだなと思っていました。 教会規則とはいえ、自由平等とは相反する階層社会を肌で感じ居心地の悪い時間でした。 ですから、自然に聖餐式を避けるようになっていました。

   諸般の事情でしばらく礼拝を離れていたのですが、先日久しぶりに参加しました。 これが第一主日礼拝で、「あっ、しまった。今日は聖餐式だった。 仕方ない。 式の間は目をつぶっていよう。」と、黙祷し儀式が過ぎるのを待ちました。 辛い時間が過ぎ、「さて、ようやく自分の教会に戻ったな。」と目を開けると平良牧師が歩み寄ってこられました。 「えっ、何かな?」と疑問に思っていると、平良牧師が「聖餐式に与かれない人にも祝福をいたします。」と、私の頭に手をかざしてお祈りをしていただきました。

   牧師のこの行為で、今までの越えられない壁が一気に崩された感がしました。 そして、その直後の賛美歌は冒頭から言葉にならないんです。 気がつくと涙があふれていました。 胸が一杯とはこの事で、私自身が一番驚いていました。 この時に、ようやく同じ教会参加者になれたと実感しました。

   その日は何か生まれ変わったような新鮮さと喜びに包まれ、また今も思い出すたびに胸が熱くなります。 規則は規則ですが、やり方によって溝を埋めることが出来るのだなと。 時間にして数秒の出来事でしたが、私にとっては人生で三本の指に入る嬉しい出来事でした。

   一方的な文章ですが、書かずには居れなかったのでメールしました。 長文をお読みいただきありがとうございました。

S・H

☆ 5月2日の礼拝に出席された方からメールを頂きました。ご本人の承諾を頂いて掲載しました。☆



写真;礼拝堂の十字架と聖餐器・洗礼盤そして蝋燭と花

イースターおめでとうございます!
礼拝メッセージではイエス様が復活して私たち一人ひとりに語りかけ
共に生きてくださることをマグダラのマリアの涙を通して
理解することができました。
洗礼式では一人の方がイエス様の教えに導かれたことを
告白され、大変厳粛なことでした。
*写真右端は洗礼盤*
E.S.記
(写真撮影はA.K.)


2004.4.21 掲載

   4月11日、僕にとっては忘れられない大切な日になりました。 
イースター礼拝のなかで皆さんに見守られながら、洗礼を授かりました。 教会に通って1年弱、様々なことがあり、その1つ1つが導かれた道だったのでしょう か。 平良牧師とは1友人として4年以上も前から交流があったにもかかわらずこうして洗礼を授けてもらう関係になるなんて、なんか不思議な気分です。
   洗礼直前になり、このまま洗礼を受けていいのかどうなのか色々迷い、その思いを平良牧師にぶつけ、しばらく教会を休みしました。 その間、様々な場所へ出向き、自分が会いたいと思っていた牧師さんに横浜まで会いに行きました。 そこでその牧師さんから言われたんです。 「三・一教会という場所を大切にしなさい。 あなたが最初に導かれた教会なのだか ら。」 様々な場所に行き、様々な人と会うたびに改めて三・一教会という場所が自分にとっ て大切な大切な場所であることに気づかされたんです。
   4月4日の日、洗礼を受ける直前、受難週の礼拝で、平良牧師は聖餐式の中でまだ聖餐に与れない私たち一人一人に対して聖餐式の中で「祝福がありますよう に。」 といいながら按手を授けてくれました。 今まで聖餐式の中では聖餐に与れない人たちには何もされてきませんでした。 聖餐式をただ見ているだけでなんとなく蚊帳の外といった感じで聖餐に与れない私たちが忘れ去られてしまっているのでは?? と感じていたんです。 教会にいても忘れられているのでは??と感じるのは結構堪えます。 云わば、自分はそこにいない存在とされているように感じてしまうのです。 聖餐式でよくこんな一文を耳にします。 「まだ洗礼を受けていない方、幼児洗礼を受けてまだ信仰告白をされていない方は この聖餐に与ることはできません。」  聖餐式でいつも平良牧師はこの言葉を口にはしませんでした。 4月4日の礼拝で平良牧師はこの一文を口にしました。 そして、聖餐式の最後に聖餐に与っていない私たち一人一人に按手を授けてくれまし た。 
   単純に聖餐式のパンとぶどう酒がイエス様からの恵みだとするならば、どんな人に 対しても分け隔てなく与えられればいいのに・・・という思いがあるのは事実です。 だけど、僕は思ったんです。パンとぶどう酒を取ろうが取るまいが、「イエス様はあなたのそして私の隣にいるよ。 忘れたりなんかしない。分けたりなんかしない。」 そう思える何かがほしかったんです。 確かに上記の一文は聖餐に与れない人間に対してはかなり厳しく心に響くのは変わりません。 それでもなお、平良牧師を通して神様が授けてくれた按手は「イエス様は隣にいるよ」 と言う、そして「イエス様は誰も分けたりしないよ」と言うメッセージが強烈に僕に届いたんです。 そのとき、イエス様は私たちを忘れていない。むしろ、聖餐を受けられない私たちにも分け隔てなくイエス様は愛してくれているという想いが湧いてきたんです。 もう、あんなに涙が止まらなかった日は無いんじゃないかという位泣きました。 もう洗礼を拒む理由がなくなったと思いました。 そして4月11日、洗礼の日を迎えました。
   メッセージのなかで「もう泣かなくてもいいんだよ」 「そのまんま、ありのまんまでいいんだよ。」と言うメッセージが聴かれ、また散々大泣きし、そのまま洗礼式を迎えました。 洗礼の瞬間は頭が真っ白になりました。 滴礼というものだったので、ちょっと濡れる程度だと思っていたら・・・ 平良牧師の大きな手いっぱいに水を洗礼盤から救い上げ、容赦なく僕の頭にかけたんです・・・ スーツも床もぐっしょりなる位たっぷりの水(本当に滴礼??)で洗礼を授けていただき僕もキリスト者として、そして、三・一教会の教会員としてのスタートを切ることができました。
   その後の聖餐式では自分がパンとぶどう酒を取り、与りましたがあまり感慨はなく・・・ それよりも、按手を授けてまわっている平良牧師の「祝福がありますように」と言う言葉や子供たちに向けている笑顔がとても印象に残ってしまいました。 『誰のそばにもイエス様がいる。』そう感じることのできたイースター礼拝でした。 
   キリスト者として三・一教会の教会員としてのスタートラインにたったわけですが、教会の仲間、そして平良牧師と一緒に悩み、一緒に苦しみ、そして一緒に笑っていけ たらと思います。 これからもイエス様を通して聞こえてくる神様の言葉に耳を傾けながら、 ゆっくり備えられた道を歩いていきたいと思うのです。

Y.T.



2004.4.19 掲載

   イースター礼拝は感動的でした。 誰かも書いていましたが。 復活なさったイエスさまが「何故泣いているのか、もう泣かなくてもいいんだよ、私はあなたのそばにいつもいるのだから」と私たちに声をかけてくださっている。
   イースター礼拝はこどもと大人の合同礼拝でした。 狭い礼拝堂に40人もの人で一杯になりました。 約1時間半の礼拝でした。 この間子供たちはコトリと音も立てず、おしゃべりもせず、静かに礼拝を守りました。 この礼拝では洗礼式と聖餐式がありました。 平良牧師は子供に解る話をなさいます(この方が大人の私たちもよく分かります)、そして感動したのは子供に解るように洗礼式の意味、聖餐式の意味を話されました。 「難しい言葉があってわからないところもあるかも知れません」といいながら式文を読み、洗礼を授け、信仰告白文を読みました。 厳粛な式を子供たちは理解したのでしょう、静かにしていました。 聖餐式のときこの意味も説明され、聖餐に預かれない人たちや子供たちに一人一人頭に手を置いて、牧師は神様の祝福をお祈りされました。 イエスさまは「あなたは大切な存在だよ、一緒に生きよう」と言われたことを牧師は実践して示されました。 大切な存在だから一人一人大切に扱われたのです。 子供たちはCSでいつもは大賑わいだそうです。 それだけにイースター礼拝の出来事(とても静かだったこと)はびっくりでした。 こどもはそこにいる、その存在を人格として意識をする、そこが平良牧師の偉いところかな。

H.H.



2004.4.15 掲載

イースターの風景@三一教会

   イースターの日曜礼拝は子供も一緒でした。 本当に多くの方が礼拝に来られました。 もちろんイエスの復活の日ですからね。 不思議と心が弾みます。 平良牧師がお話しを始めると、いつもはへそ曲がりの僕が聖書を読み・聞いていると涙がとめどなく出てきました。 左側の列に座っていたオトコは全員目には涙が一杯でした。 不思議ですね。 右側に座っていた、洗礼を受ける彼は耳を真っ赤にして、肩を震わしています。 後ろからその姿を見て皆余計に涙腺が緩くなってしまったのでしょうね。 又、洗礼式が感動ものでした。 良かった。
   そのあと、愛餐会がありました。大勢でもちよりのお食事は本当においしかったですよ。 自己紹介をかねつつ自分の教会歴を話しました。 こういうとき、平良牧師はうまいですね。 いつの間にか乗せられてしまい、話してしまいます。 さ、イースター最後は恒例(?)のイースターエッグ探し。 隣の公園でチョット汗ばむくらいの晴天の下卵探しが始まりました。 無事すべて探し出し、終了。 神様のお恵みに満ちた本当に良い礼拝でした。 その後に、さらに恵みに満ちたバイオリンの伴奏で賛美歌を歌いました。

健坊



2004.3.29 掲載

マリアの香油はどんな香り?

  「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持ってきて、
イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」  (ヨハネ12:3)
  マリアの行為は今で言うアロマセラピーでした。 イエス様はそれを自らの葬りの用意と言われて受け入れられました。 マリアの愛と思いやり、それに芳香につつまれて、しばし安らぎを覚えられたことでしょう。 この後に続く十字架への苦しい道のりを思うとほっとさせられる場面です。
  さて、この時家いっぱいに香ったというマリアの香油は一体どんな香りだったのでしょうか。 古い記述では、出エジプト記30章に聖別の油や香料の混ぜ合わせ方が示されています。 もともと香りは聖なるものとして扱われたのですね。  年代的にはイエス様の時代と千年もの開きがあるようです。 でも香りの傾向は国や民族によって受継がれますから、マリアの香油もそれに近い質や香りだったのではないでしょうか。

    聖別の油の調合は:
    ミルラ(もつやく)    500シェケル  約5キログラム
    シナモン         250シェケル  約2.5キログラム
    匂い菖蒲(イリス)    250シェケル  約2.5キログラム
    桂皮           500シェケル  約5キログラム
    オリーブ油        1ヒン      3.8リットル

  ベースになるオリーブ油に、上のような香りの植物の樹脂や樹皮などを砕いた物を混ぜてエッセンスをしみださせ香油としたようです。 ちなみに近年は植物を蒸留してエッセンスを抽出する技術が進んでいます。
  マリアの香油は一リトラ、ビールの小ビン一本分位の量だそうです。 樹脂や樹皮の渋めの香り、匂い菖蒲やシナモンの少し甘い香りが混ざり合って、時を超えて香ってくるようです。

H.Ta.






今年もイエス様の受難を覚えるレントの季節がやって来ました。
私たちの礼拝堂の十字架には茨(いばら)ではなく現代の茨と
言える有刺鉄線の冠が掛けられました。
E.S.記
(写真撮影はA.K.)



2004.1.18 掲載

   お正月に テレビで 〜千万年後 ・ 〜億年後の地球の姿を放映していました。 精巧なコンピューター・グラフィックスで科学的に予想された未来の自然環境や生き物の姿が映し出されました。 しかし自然環境の激変と共にそこには人類の姿はありませんでした! 岩場の僅かな土だまりに芽を出す植物、あと数日で干上がってしまうに違いない水溜りの魚。 それを見て生き物の哀れを思うこともありました。 しかしなんと私たちの生も同じように限られた(許された?)時と場所にだけ与えられたものだったのです!!

   希望か絶望か? それは自分につき付けられた選択/問いとしか思えません。 私はできることならば生あるうち希望を持って生きていきたいと思いました。

E.S.



2004.1.16 掲載

   夫が 教会に来るのは何年ぶりか忘れるほどですが、クリスマスイブ礼拝に
一緒にでました。  夫曰く「あなたの隣人を愛しなさいということはよく分かるが、結婚もしていない マリアが聖霊によって子供を身ごもることは信じられない」と。  私は「神様のみ業は理屈を超えたところにある、科学の力で証明することができな い、それが神様のみ業だ」と言いました。
   クリスマスの出来事がまさに考えられないことが起こり、当時の常識からも考えら れないこと、光の当たらなかった人たちに光を当てられ、神様の大いなる愛が示され たできごとだったのではないでしょうか。

H.H.






クリスマスを前に、M.K.さん(四谷新生教会)から手作りの
ツリーとクリブが送られました。温かく味わい深い主の降誕
記念を祝うことができました。  ありがとうございました。
3人の王様は、わざと作らなかったそうです。
静かなより深い情感があるように思いました。
E.S.記
(写真撮影はA.K.)



2003.12.13 掲載

    神様のいろんな愛が詰まっている教会です。 
                    どうぞいらしてください。  *^-^)/☆

Y.M.



2003.12.12 掲載

   礼拝後の懇談のとき自殺の話が出ました。  
私は「自殺するくらいならどんなことにも耐えて生きられるのにと思う」と、とくとくと言いました。  私の隣に座っていた兄弟は「死ねば楽になれるだろうなと思うときがある」と言いました。 牧師は「生きるってとっても苦しい時がある」と。  
   私は頭をガツンと叩かれたような衝撃を受けました。 それほどの苦しみをしたことの無い私は無神経に発言して、苦しい思いをしている人を傷つけてしまった。 
とくとくと言った自分に落ち込みました。 はなもちならない私に「そうではないんだよ」と言ってくれた人の優しさに心から感謝をしました。 その勇気に感謝です。 そんな教会を作り上げてくださる牧師に感謝です。

H.H.



2003.10.19 掲載

一人ひとりが大切な存在として
「 三 ・ 一 教 会 」

平良 愛香
 「三・一教会ってどんな教会?」この春、三・一教会に赴任してきた私に、
これまでいた前任地の教会のメンバーや関わりの多かった人たちから浴びるほ
ど受けた質問です。それに対し私は大体こんなことを答えています。

 三・一教会って
◇緑色です。
◇外から見ると小さな二階建ての民家ですが、中には素敵な礼拝堂があります。
◇牧師館はありません。
◇教会の入口の真向かいには車がすれ違えないほどの細い道路を挟んで金網フェ
 ンスがあり、米軍の相模原住宅基地が広がっています。
◇礼拝出席は十二名ほど。その内十名が聖歌隊なので、奉仕のあるときは殆ど
 の人が前に出て歌い、二名が聴き役(?)です。 
 (注) 原稿執筆時の実態に即した記述です。05年3月時点で礼拝出席者数は
    約20人〜25人です。
◇主日礼拝は子どもも大人も悔い改めの祈りから始まります。
◇メソジストの伝統を引き継いでいる教会ですが、いろんな教会のいいところを
 たくさん取り入れています。
◇毎週礼拝後、持ち寄りの食事会があります。
◇毎月一日は、朝六時から早天平和祈祷会があります。
◇とてもアットホームな教会で、「自分は変わり者だ」と思っていた人が「そう
 でもなかったみたい」と感じる教会だそうです。
◇性的少数者である牧師を招聘し、一人ひとりの人間が神様によって造られた、
 かけがえのない存在であることを大切に考える教会としての歩みを始めていま
 す。

これで大体どんな教会か、お分かり頂けたのではないでしょうか。 

              (日本基督教団神奈川教区婦人会報第85号より)
   

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