2004.5.24 掲載

「神の道化師」を読んで
A.Y.記

   教会通信Bに投稿されている神の道化師の物語、僕もいつ何処で読んだか記憶が定 かではないのですが、そのお話を覚えていました。年老いたVecchio GiovanniのBuon Natale(聖夜)の最高の捧げ物は、それまでずっと取り組んできた自分の芸事だった。衰えて盛時の通りにはこなせなくなったとしても、自分の 芸事で最高の捧げ物を神様へ捧げた。そして神様はそれをしっかり受け止められた。

   芸人である僕にとってこの お話は心に染み渡るお話です。果たして僕は神様を前にして最高の芸を捧げる事が出来るのだろうか。神様に対して自分の芸事を自慢するのではなく、神様から賜物を与えられた事に感謝し謙虚にそのことを喜んで、自分の芸事を神様に捧げる事が出来るのだろうか…ふとそんな事を考えてしまいました。

   Massenet(マスネ)と言うフラン スの作曲家の書いたオペラに<ノートルダムの曲芸師>という作品があります。これもまた辻芸人のお話なのですが、年若い孤児の曲芸師Jeanが食べ物欲しさに教会に連れられて見習い修道僧になります。周りの修道僧は皆勉学にも技芸にも秀でた連中ばかり、またそれを自慢し合うので、曲芸しかできないJeanはすっかり落ち込んでしまいます。料理番のBonifaceは落ち込むJeanにこんなお話を聞かせます。

   <イエスが生まれたばかりの頃、母マリアがヘロデの追っ手を逃れて或る山中まで来た時、皆疲れて動けなくなりました。傍に咲いていたサルビアが花を咲かせて貴方がたの姿身を隠しましょうと言って、精一杯沢山花を咲かせました。そしてマリアとイエス一行は無事追っ手の目を逃れる事が出来ました。そこでマリアはサルビアを祝福しました。それからサルビアは料理に必要な花になったのだ。>

   誰でもそのままの姿で精一杯行えば聖母の祝福を受けられるのだ、とBonifaceはJeanに言って、自分は厨房に向かいます。Jeanは、クリスマスの夜聖母は東方からの賢者の贈り物も羊飼いのパイプも同じように喜んで受け取られた事を思いだし、祈ります。そして僕が捧げられる物は曲芸ですと言って、礼拝堂の中で曲芸師の扮装で自分の芸を次々と繰り広げます。Jeanが疲れ果てて倒れ込んだ時、天使の声が響き渡り、聖母の像が輝き彼を祝福するように動き出します。その様子を 見ていた修道院長は倒れたJeanを抱き上げます。Jeanは許しを請い、修道院長はお前は祝福されたのだと言うとJeanは 息を引き取ります。(幕)

   その全存在を懸けた業(それが可視的であるか無いか、でかいか小さいかは関係なく)を神様は決して見過ごされない、僕はそう信じたいです。



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