2005.05.26 掲載

あの時の父と同じ歳になって
野中 泉

 ( 〜 省略 〜 )

   月日は悲しみを和らげるのと同時に、私たち家族から生身の父の記憶を否応なしに遠ざけていく。 私たちは父の死後、ばらばらな日常を、それぞれの場所で過ごしてきた。 その間、三人で父の死や自身のその後の人生について、いちいち言葉にし合ってきたわけではない。 けれど確かなことがひとつある。 それは 「平和さんはこう言った」 「小林平和ならそうはしない」 と事あるごとに口にする母と私は言うまでも無く、言葉少なな弟もきっと、小林 平和の五十七年という人生を傍らに置いてこの十年という月日を暮らしてきたということだ。

   私が中学一年生だった時、父が教会の中学生会でこんな話をした。 「僕は、牧師ですが、神様が本当にいるのかいないのかわかりません。 ただ神様はいるんではないかということについて、僕はとても一生懸命考えています。 一生懸命考え続けているといつも 『神などいないのではないか』 という結論に行き着きます。 そうしたら今度は神様がいないかもしれないということについて僕は必死になって考えます。 すると 『神がいるとしか思えない』 ような出来事にぶつかるのです。 そんなジグザグをしながら僕は人生を生きています。 僕の人生が終わるときに結論が出るのかどうか僕にはわかりません。 でも真実はきっとそのジグザグの途中にあるのです。」
気づくと私はあの時の父と同じ歳になっていた。 私はこの父の受け売りの話を今年になってもう二回した。

   父の人生は五十七年であまりに早い幕を閉じた。 誰もが、当の父自身でさえも道半ばと思わざるを得ない唐突な終わりだった。 けれど、その人生はジグザグの途中だったからこそ真実の中で幕を閉じることができたのではないかと、十年たってそう思う。



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