Jester 記 |
【ルカによる福音書18章9〜14節】 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。 『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 僕は5年ほどキリストから離れていました。僕はかつて律法主義的な教会に通ってましたが、倫理的な食い違い、また指導的立場の人に対して議論や疑問も認めない排他性、そして人形のような無思考な従順の要求などに嫌気が刺し、「もし本当に神がそんなロボットを求めるならば、そういう人しか救わないなら僕は悪魔と呼んでいただいて結構!」と通わなくなりました。 それ以来、僕は神に反抗するかの如く、祈りもせず気ままに過ごしていきました。「どうせ俺は地獄行きの救われない罪人ですから…。」という失意とともに。友達は「神と喧嘩してる状態」と評しましたが、僕もそのつもりでした。 しかし、そんな遅すぎる反抗期を5年ほど過ごしたある日、何気なく開いた聖書に僕の勘違いを悟らせる箇所をみつけてしまったのです。ルカ18:9〜14でした。キリストは常に罪人とされた人々のそばにいて、高ぶる人々に対して敢然と立ち向かっていました。その時僕は気付きました。僕のやっていたことは喧嘩ではなく、こんな僕を救おうとしてるキリストに一方的に唾を吐きひっぱたいていたことに。そして、キリストが僕の気付くのを待っていてくれたことに。 その日、僕は久々に祈りました。悔い改めることばかりでしたが、それすらも包み込まれていくことを感じました。そして、最初からキリストは僕を救ってくれていたこと、僕がそれに気付いていなかっただけであることを理解しました。だから新約聖書に出てくる癒された人々は僕にとって友達みたいなものです。「こっちは迷惑です」と言われても知ったこっちゃありません。 その後、インターネットで三・一教会をみつけ、現在もお世話になってます。かつて虚脱感で、教会からの家路が非常に長く虚しく感じたことを知ってるかの如く、三・一教会はご近所です。なので、僕は「神を信じて教会に行ってる」のではなく「神を信じさせてもらい教会に行かせてもらっている」のです。 |
E.S. 記 |
【イザヤ書11章6節〜】 狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。 正直言ってあまりにも理想論でナンセンスと思っていた聖書箇所でした。しかし祈祷会の出席者でこの箇所を輪読するうちに、救い主の求める平和は確かにこのようなものだと深くうなずくようになりました。この世界は欲得がらみの弱肉強食の論理が支配しているように思えてなりません。特に貧しい国々は資本主義の原理でますます貧しくされているようです。 仏教の経典である法華経に、そう言った過酷な現実を描いていると思える箇所がありました。 「・・・その中は酷い有り様で、 柱は砕け屋根は傾いています。壁は破れ、辺り一面ほこりまみれです。 烏・蛇・百足・鼠などが動き回り、糞尿の臭いが満ち 蝿がたかっています。 悪鬼は食を求めて死肉に群り、牛頭の鬼は人肉を食らい 残忍で常に飢えています。 諸々の餓鬼・悪獣・悪蟲は自身の飢えと渇きから恐ろしい叫び声をあげています。 これらの叫喚の叫びが館全体を包んでいるのです。 この朽くちた邸宅は一人の長者のものでした。そして彼がこの家を離れた後、 ここに火が起こったのです。瞬く間に柱は倒れ屋根は崩れ落ちていきました。 しかし、中にいた悪鬼たちは苦しさから叫ぶのですが、 そこから逃れるすべを知らなかったのです。 これらの邪鬼は福徳薄き故に炎に迫られても、自らの渇きを癒いやす為 仲間を殺し合い その血を啜ったのです。・・・」 (法華経の簡略文から譬喩品の一部) これを読むと、競争社会で生きていく自信が持てず悩んでいた若い頃を思い出します。同時に最初にあげたイザヤ書11章〜が如何に尊い理想であることかと思います。 ※上の法華経テキストは日蓮宗妙法寺のホームページよりお借りしました。御礼申し上げます。 ※法華経は仏教の重要な経典であり、他宗教ではありますが敬意をもって接するべきです。法華経には様々に理想とすべき世界も描かれていますが次の部分もその一つでしょう。「この経典を良く信奉するならばその者は佛が霊鷲山にあって諸の菩薩と共に法を説く様を見るのです。また娑婆世界の地が平坦になり黄金の道が八方へと広がりそこに聳える楼閣の塔に数多くの菩薩たちがいるのを見ることでしょう。」(分別功徳品第十七 ) ※菩薩とは悟りに至る努力を怠らない者、または敢えて完全な悟りの一歩手前にとどまり世の人々と共にあろうとする者とのことだそうです。 |
Jack 記 |
【 本田哲朗神父の言葉より 】 私たちにとっての一番の“誘惑”は、己の弱さ、ふがいなさに絶望することです。そして、やり直す努力を放棄したくなることです。力は弱さのなかでこそ十分に発揮される。私は、弱い時にこそ強いというあなたの教えを信じて立たせて下さい。 私にとって、この1年間は重く、しかし感慨深かいものになった。故あって昨年6月配偶者と離婚した。離婚を求めていたのは配偶者だった。それに応じることが配偶者のためなのだと、そう思った。離婚して私は彷徨した。とある牧師夫妻のプロテスタント教会に「救い」を求めた。その牧師夫妻は離婚の証人でもあった。その教会で賛美の度によく泣いた。昨年の3月まで家族4人で暮らしていたのに、7月からは単身生活になった。心から寂しかった。 教会では、「悔い改めたいならば、これまでに犯してきた罪を手紙の形で全て書きなさい。その中身は読まないから神様に差し出して下さい。できるなら罪を犯し、済まなかったと思う人がいるなら、会って謝罪をしてみたら」とも言われた。キリスト教の言う、“悔い改め”とはそういうものなのかと半ば信じてしまった。祈祷会で、「イラクの戦争が終結し平和的な政府が樹立されますように」と祈祷文に書いてあった。私は、牧師夫妻に、「祈るだけではなく教会として行動することがあるのではありませんか?」と伝えた。私が納得を得る回答はなかった。9月半ば、礼拝後に牧師夫妻と教会員との間で口論が始まった。「教会とはケンカも大ぴらにする場なのか?」と思った。口論途中で牧師婦人が礼拝室にやってきて言った。「皆さん祈祷会の時間です。祈祷会をしましょう。」教会員は、「まだ、牧師と教会員が別室で話し合っているから、それが終わってからでも良いのではありませんか?」と牧師婦人に伝えた。「.....あのう、今は祈祷会を開く状況じゃないと私も思います。」と私が発言したところ、「求道者であるあなたに発言する権利はありません!」と怒られた。教会員からブーイングが起きた。牧師婦人は一人で祈祷会を始めた。その日以来、私はその教会に足を運べなくなった。心配をした教会員は私にメールをくれた。とても嬉しかった。 その当時、7月末から体調を壊し入院していた85歳の母の面倒を見ることと仕事で私は精一杯であった。ただ、離婚の傷が癒えない私は、元配偶者がメールも電話も受信拒否設定をしたにも関わらず、長女のメールで私の意を伝えた。手紙も書いた。私には元配偶者に未練が溢れるばかりにあったためだった。何の反応も示さない元配偶者を罵倒する内容のメールを長女のメールを介して送ったこともあった。送った後から、「自分はなんと罪深いのか」と自分を責めた。 「このままでは自分が壊れてしまうかもしれない」と思っていた。昨年末の頃だっただろうか、インターネットで三・一教会のホームページを知った。平良牧師を知った。「神様の創られたものに不良品はない」。平良牧師のこの言葉を知り気持ちが少し楽になった。離婚を心から受容できていない自分、元配偶者に離婚をしてまで罵声を浴びせてしまった自分は情けない。人間失格だ。罪深い。だが、そうしたネガティブな自己評価を続けることは苦しい。その反動が元配偶者への罵声に発展したのかもしれない。今思うと全くの悪循環だった。元配偶者は本当に私と離婚したかったのだ。今さら隙を見せたらまた逆戻りになる。だから沈黙を続けよう、元配偶者はそう決心したのだと推定した。沈黙を続ける元配偶者は“辛い”思いを噛みしめていたに違いない。離婚をしたからといって、私も元配偶者も決して“不良品”ではないのだ。私は、離婚をしたことに何か負い目を感じていたのかもしれない。職場の同僚にさえ離婚の事実は言えなかった。友人が言った。「彼女を本当に愛しているならそっとしておいて上げなさい」。そのとおりだと段々思えるようになった。 年が明け、三・一教会に足を運びたい思いになった。そのことを平良牧師に伝えた。1月だったか、2月だったかハッキリと覚えていない。小田急相模原駅に初めて降りて三・一教会の礼拝に参加した。自宅からは相当な道のりだった。三・一教会の第一印象は、「ああ、この教会は自分がいてもいい教会なのだ」というものだった。何か暖かみを感じたのだ。嬉しかった。自分が自分で居られ、誰彼にも干渉されない。平良牧師の穏やかな宣教のトーンに安心感を覚える。聖書の解釈は色んな角度から出来ることを知り、キリスト教や聖書を画一的に解釈するものではないことを知り安心感を得た。「主の平和」を証する教会であることが分かってきて、ワールド・ピース・ナウや辺野古の基地建設反対活動に少しだけ関わることができた。礼拝後の毎回の愛餐会も楽しみの一つとなった。毎回続ける。この続けること自体も素晴らしい。食事をともにし教会に集う人々と“交わる”ことが最近すごく大切に思えてきた。一人ひとりが皆愛おしく思えるのだ。神様から愛されている一人ひとりと過ごせる豊かな時間が、思えば、生活のバネになっているようにも思える。愛餐会は礼拝に連続しているもののようにも思える。 三・一教会では、イースターもペンテコステも体験できた。私は、子ども達との合同礼拝が好きだ。子どもの率直さや“自由”なところがいい。大人になるに連れ、子どもの時に持っていたこうしたものを少しずつ失っていった自分を知るからである。私は、機会があれば、子どもと触れあえる仕事に再就職したいと最近思うようになった。乳幼児も好きだ。仕事柄、昔、乳幼児のケアをしている時、赤ちゃんだった自分の子どもを育児していた時、相手に会わせた喃語や視線、スキンシップで会話している自分が、とても自由に振る舞えていたと記憶しているからである。 2月末から母が体調を壊し再入院した。母に面会の折り短いメモを書いた。「私はあなたの子どもとして生まれたことに感謝しています」と初めて書いた。5月に、姉が心身を患い入院した。平良牧師の宣教のテープをダビングしたものを贈った。姉に癒しがあることを祈っている。二人の入院者を抱え、仕事を休まず、毎日が超忙しい。離れて暮らす二人の子どもの無事と平安を祈り続けている自分がある。別れた元配偶者の看護師の仕事と健康が守られ、恵みのあるこを祈る自分がある。この1年間確かに試練と言えば試練だった。人それぞれに試練は異なることだろう。 しかし、神様を恨んだりしていない。この位の試練などキリストが経験した試練に較べようが全くない。「大丈夫。乗り越えられるよ。辛くなったら、助けを求めてもいいのだよ。ただ、結果がどうあれ、心を込めて、目前の試練に自ら立ち向かうことが大切だ」。私の心に住まわれ、私の背中を押して勇気を与えて下さる神様がそう仰っているような気がする。だから、私は苛立つことはない。そして、弱気になる時は、これからも冒頭の本田神父の言葉で眼を覚ますようにしたい。 |
SY 記 |
【 ブラザー・フランク (テゼ共同体) 】 神が新しいことをなさるのです! 疲れたわたしの中で、疲れた共同体、疲れた団体や組織の中で、神が新しいことをなさるのです。 神から、新しさが何回も何回も与えられるのです。 ・・・もし、自分の最初にあった夢やミッションの単純素朴さに立ち返る勇気があるならば・・。 「愛しなさい。 生き方でそれを示しなさい」 こう呼びかけられているのです。 ・・・・今自分が置かれているところでそう招かれているのです。 複雑な世の中にあって、人の集まりである教会も往々にして単純素朴でわかり易い信仰から、複雑でわかりにくい信仰へ流される傾向を感じます。 三・一教会は、単純素朴な信仰をとても大切にしている教会だと感じました。 これからもこの単純素朴な信仰を大切にしてほしいと思います。 |
K.H. 記 |
【ルカによる福音書10章41節〜】
マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。 しかし、無くてはならぬものは多くはない。 いや 、ひとつだけである。 イエスがある村で家に迎え入れられたときのこと。迎え入れた姉妹の姉がイエスの接待に躍起になるうち、イエスの言葉に聞き入り手伝いをしない妹を非難した。そのときにイエスが言われた言葉である。 私たちは日々の生活の中で多くのことに心を捕われ、また多くの情報をとらえてはそのことについて考えこんだりしながら生きているように思う。 自分、自分を取り囲む人たちと様々な事柄、過去に対する後悔や未来に対する不安。 そして、時にはそれらの思いに飲み込まれてしまいそうなこともある。 この聖句の場面はちょっとした姉妹のいざこざのようにも聞こえる。 しかし、このときイエスが言われたことばは日々の生活で様々な思いに埋もれそうになった私にそっとはたらきかけてくれる。 |
平良愛香 記 |
【ヨハネによる福音書16章33節】 「これらのことを話したのはあなたがたがわたしによって平和を得るためである。 あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 「辺野古に行ってきました。」 9月6日から9日まで沖縄の辺野古(へのこ)に行ってきました。 そこで経験したことをお知らせします。 −9月8日の防衛施設局の新聞発表 「基地建設のためのボーリング調査を明日行います。場所は辺野古漁港、もしくは キャンプシュワブ。」− その日辺野古では朝から緊迫した空気が流れていました。 今日は那覇防衛施設局が動く。 4月のときのような奇襲に備えて 本部のほかに何人かがそのままのテントに前日から寝泊りをしました。 集合時間の7時には大分人が集まってきました。 いつものようにミーティングを行い、この座り込みの約束事項の確認を行います。 非暴力の運動であること、戦争という暴力に 暴力で対抗してはそれ自体が負けであること 守れない人は此処から立ち去って欲しいというものでした。 次々と人は増え、辺野古漁港まえに400人、キャンプシュワブまえに100人ほど 集まった11時頃、 防衛施設局が馬天港という南部の港から2時間の余を掛けて辺野古沖に向かっているということがNHKニュースで流れました。 NHK以外のメディアはニュースが流れてからそれを知ったようです。 真正面から向かってこない卑怯なやり口でした。 朝から激しく降ったり、照ったりという中で、機動隊がやってきたらテントから出て道路に坐り込んでスクラムを組み完全非暴力で阻止しようとしていた人たちは目の前から逃げて海から回った施設局の嫌らしいやり方に憤慨。 しかし怒ってる間もなく、一年前から毎週練習していたカヌー隊7艘と抗議のための 舟2隻が出港しました。 カヌーには20代男性から70代女性まで乗ってます。 抗議船にはいざというときに海に飛び込んで阻止する「飛び込み隊(別名ぷかぷか隊)」が10人ほど乗り込みました。 それと同じ頃、 汀間(ティーマ)漁港・・・辺野古の浜の北へ20分ほどのところから 防衛施設局の広報課がメディアを漁船に乗せて調査区域に連れて行くという情報が入 りました。 マスコミには報道の自由があるから取材しないでくれとはいえないが、 施設局の人間が説明のために一緒に乗りむのはやめさせようと阻止行動に50名が出か けました。 汀間では施設局課長をみんなで説得し、舟に乗り込まないと確約させ、 メディアを乗せてから話し合いに応ずるというので待っていました。 しかし舟の出航後、彼らが帰ろうとしたため大阪の牧師さんが車の前に立ちははだかりました。 港の砂利の上で皆で車座になり施設局の4人と話し合いを持ちました。 地元の方言を交えて「君の家族に恥ずかしくないのか」と言われた同じうちなんちゅの課長は一瞬言葉が詰ったようです。 3時半まで雨が降ったり照り付けたりのその場所で話し合いを続けました。 沖縄にはこうして丸くなって話し合いを持つということがよく行われていたようで す。 4時にテントに戻り報告会 カヌー隊の危険を冒しても阻止しようとした行動に対してみなの拍手、しかしボートや船に乗った人たちは悔しさを訴えました。 施設局はわたしたちの抗議をかわすために、何艘もダミー船を出していた。 実際に調査に必要なダイバーは海に潜らなかったし、かろうじてブイを一つ二つ浮か べただけだったが、 それでも「調査が着工できた」と報道するのだろう。 沖縄を馬鹿にした行動である。 何故堂々とこないのだというのが全員の感想でした。 必死に追いかけて旗を立てて頑張ったのに阻止できず、ダミーもいてとても悔しかったと目を赤くしていた飛び込み隊の女性。 戦う相手が分かっていれば正面からぶつかれるのに、それができない、と怒りを訴えたカヌーの70歳の女性。 カヌー隊・抗議船リーダーの沖縄の牧師さんは おじぃ、おばぁたちが8年間守り続けてくれていたのに阻止できなかった、ごめんなさいと泣いて挨拶していました。 船が2隻ではどうにもならない。 船を持っている人は貸してして欲しいと訴えていました。 また船舶の免許やカヌーを操れる人の応援を待っています 舟をもっとチャーターしなければならないのでカンパも必要とのことでした。 翌日、辺野古から配信されるニュースを見ました。 「防衛施設局が辺野古から出港できなかったのは、私たちががんばったから。 防衛施設局がほとんど作業ができなかったのは、私たちががんばったから。 私たちは勝っている。」 今回辺野古に行って、あまりにも腹が立ち、また悔しく、悲しかったので、わたしは大事なことを忘れかけていました。 「戦いに勝てる方法が一つだけある。それは、勝つまで続けること。」 「戦争には勝者はいないと言われるが、命を守る戦いに敗者はいない。」 「基地建設が白紙撤回されるとき、勝者になるのは私たちだけでなく、基地を作ろう としてた人たちも一緒に勝者になれる。命を守ることができた、と。」 前回5月に辺野古に行ったとき感じたことでした。みんながそう確信している。 だからここで座り込んでいる人たちは、張りつめて緊張していながらこんなに明る く、輝 いているのだ。 ある牧師さんが言っていました。「キリストがいるなら、今、辺野古にいるに違いな い」と。 「これらのことを話したのはあなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 ヨハネによる福音書16章33節 命を守るための戦い、平和をつくりだす戦いを勝つまで続けていきます。 辺野古のホームページは毎日更新されて現地の様子を伝えてます。 東京の国会前では毎日座り込みが行われてます。 |
この記事を読んだ方から応答メールを頂きました。ぜひご覧下さい。 |
Y.T. 記 |
【ルカによる福音書 2章8-16節】 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が近づき、 主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。 「恐れるな。 わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。 この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の 中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。 これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 この聖書個所を読むたびに私は勇気づけられます。 一番祝福からは遠いとされ、蔑まれていた羊飼いたちのもとに天使は福音を告げます。 そして、イエス様は羊飼いたちのもとに最初に現れてくださいました。 権力のある者のもとではなく、皆から振り向かれることの無い存在である羊飼いのもとにイエス様が現れ、そしてともにいてくださるという事実が私を勇気づけてくれるのです。 教会に通い始めてまだ数ヶ月。 求道中の身である私が学んだこと、それは自分が1人では生きて行けない弱い存在であり、誰かに支えられながら生きているということを再確認させられたことです。 毎日の生活はそうそう楽しいことばかりではなく、つらいこと、苦しいことが多くあります。 特に仕事のときなどは忙しさに追われ、他者に対して温かくいる心を失ってしまいそうになるのです。 ふと自分の顔を鏡で見たとき、心を無くしてしまいそうな自分の顔を見ると、情けなく、自分がこうありたいと願う自分とは程遠い自分の現状に苛立ちすら覚えるのです。 「こんなはずではないのに・・・」 「どうして自分にゆとりがないのだろうか・・・」 という思いでいっぱいになってしまいます。 そんな時、この聖書個所は私に教えてくれます。 こんなに弱い小さな存在である私のもとにも常にそばにいてくださるということ、イエス様は私の抱えている多くの重荷をともに持ってくださっている、そして私の個性全てを受け入れ祝福してくださっているということを。 このことを思い出すだびに私の心が少し軽くなるのを感じるのです。 そしてまた、その日1日の歩みを歩むことができるのです。 まだまだ求道中の私ですが、神様の福音に耳を傾けられるように常に心を開いておきたいと思うのです。 |
H.To. 記 |
【コヘレトの言葉 3章1-11節】 何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時 殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時 泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時 石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時 求める時、失う時 保つ時、放つ時 裂く時、縫う時 黙する時、語る時 愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。 人が労苦してみたところで何になろう。 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。 それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。 何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 そろそろ次年度の役定めの時になります。 どの団体でもみんなが何らかの役を受け運営 してゆかねば歩みを進める事は出来ません。苦手だと思う役(ほとんど全部)を受ける時、私はいつもこの聖言を読んで励まされ歩みを始めます。 主の道を歩むために主が定めて下さった道を喜んで歩むものとなりたいと思います。 |
M.Y. 記 |
【テサロニケの信徒への手紙I 5章14-22節】 兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。 だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 “霊”の火を消してはいけません。 預言を軽んじてはいけません。 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。 あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。 私達、人類はすべて兄弟であり神の愛によって与えられた命を大切にし、隣人を愛してどんな事情のどんな地位の人でも心の中の奥深い悪い思い自分でも知らない思いが神が知っている。 すべてをイエス・キリストに委ね喜び、祈り、感謝し愛し合い生き抜いていこうよ。 (^0^) |
H.Ta. 記 |
【ヨハネによる福音書8章3-7節】 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。 「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 ユダヤ教の律法を守ることのみに終始していた人たちの間で起きた出来事です。 教会学校の生徒が「この時男の人は(相手の)どこに行ってたの?」と聞いたそうですが、冴えてますね。 文語で、「なんぢらの中(うち)、罪なき者まづ石をなげうて」と言われたイエスさまの短い言葉は、何と強い本ものの正義感と限りないやさしさにあふれていることでしょう。 年がばれますが、この文語がとても好きです。 |
H.H. 記 |
【使徒言行録10章9-16節】 翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。 昼の十二時ごろである。 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をして いるうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつ るされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。 そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。 しかし、ペトロは言った。 「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、 また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういう ことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。 そうなんです、自分の価値判断で人を評価してはいけないんですね。牧師先生が 「神様の創られたものに不良品はない」と言われます。 「私が神様から愛されているように、私の嫌いな人も神様から愛されているん だ」、このこともはっと気づかされたことです。 私が人間関係に悩むとき、いつもこの聖句を思い出します。だけど難しい、そんな にすんなり分かりましたとは言えない時があります。 でも分かりましたと心から言えないと、私の悩みから開放されないことを知りまし た。 |
E.S. 記 |
【ルカによる福音書14章16-23節】 イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕(しもべ)を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、 貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』やがて、僕が、『御主人様、仰せ のとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 有名な「大宴会のたとえ」です。ある人が盛大な宴会を催そうとした。多くの人を招いたが断わる人も多かったのですね。 そこで主人は腹を立てて後半(21章〜)の展開になるのですが、この主人の宴会に招かれるのになんの資格も必要とされていない所が大切だと思います。 貧しい人、体の不自由な人を先に招いたが席にはまだまだ余裕があります。 ついに主人は通りや小道にいる人を無理にでも連れて来るように言いました。 何の資格も無く、手土産も持たずに、通りを(たぶんモノ欲しげに)ぶらぶらしていた私が「大宴会」に招かれました! このことを思うたびにいつも力づけられます。 |